ネタバレ含むので、未読の方はご注意ください。
きっかけ
図書館に入るとまず新着図書などの開架コーナーに向かう私。選び方は完全に私の直感任せです。「何これ面白そ!」とセンサーが反応したら手に取って、あらすじも見ないで貸し出します。この、図書に対し無愛想とも言えるやり口で読了したのが、表題にある『復讐には天使の優しさを』でございます。
選んだ理由は簡単。タイトルから並々ならぬ怒りを感じたからです。
「復讐」という熾烈な言葉の後に、「天使の優しさ」というフレーズをつなげる、とんでもなくちぐはぐな言い回し。平然と押し殺された激情を感じ、こりゃやべえ内容だぞと確信して手に取ったのです。
個人的感想
結論から申しますと、私が期待したのと別なやばさがありました。
私はてっきり、復讐心に燃える人物が天使のように微笑みながら仇を討つのかなと思ってたんですが、違いましたね。サイコパスなのは相手の方でした。万事休すまで追い詰められてもなお平常運転を保つ余裕を見せつつも、最後の最後で本性を剥き出しにするところ。正直、恐ろしすぎて鳥肌立ちました。本当に、どうしようもないほどの根っからの悪人なんだなって思いましたね、あいつ。
まあそいつはともかく、私なりの書評を述べるなら、「次々と先が気になる仕掛けが施されて読み飽きず、物語としても上手くまとまって読後感もよろしい」といったところでしょうか。ただ本書の「解説」欄には、この作家さんを好評する声は少ないらしく、本作品にいたっては作家自ら貶めているという、散々な扱いを受けているように記載されてます。でも一方で、作家の故郷デンマーク内では大衆小説として広く読まれていたのも事実。よくある、一般人と専門家の乖離ってやつですね。まあ、どちらが正しいわけでもないので、読んで面白かったらそれで良いんじゃないすかね。
ぽかーんと考えてみたこと
<作品の背景>
復讐…。
そんな激烈な言葉には少しも合うことのない、気高いあわれみの心。
根っからの悪人で、良心のかけらも見つけられないほどに邪悪が満ち足りた人間の、唯一の弱点が、あわれみなのかもしれない…。
上述したように本作品はデンマークで親しまれた大衆小説ですが、時代は第二次世界大戦。当時のデンマークはナチスドイツの占領下にありました。
一方、本作の主役と言える人物の一人、ゾジーヌは、不自由な身の上を「囚人」と言い表し、そして己の「正義」を貫こうとしました。
当時の人々は占領という境遇を、作品の世界に自然と重ねていたのかもしれないと、巻末の「解説」欄には述べられています。
<正義の矛盾>
この読解を無理やり時代背景に捩じ込ませるなら、復讐の矛先はナチスになるのでしょうか。
ではそこにおける「正義」とは何か。
ルーカンが牧師に対して最後に示した「あわれみ」?
いや、違う。社会的な悪人は公正な法によって厳粛に裁かれるべきであり、私情にできることはないです。
そう考えると、万事片付いた後に判事さんがベネットを慰める時にかけた言葉を思い出します。
われわれ取るにたらぬ者の手の中では、正義とはおそろしいものです。復讐という行為は、それを実行する者を打ちくだくでしょう。正義をおこなうためには、人間共同体を代理する法的権威というものがあって、憎しみや復讐の念をもつことなく罪人を裁き、判決を実践する権限を与えられているのです。
(中略)
しかし、みずから悪人を裁こうとすれば、それはあなたの中にある罪深い傲慢から出ていると言わねばなりません。
『復讐には天使の優しさを』(白水社)、p388
悪を裁くのは法であり、正義ではない。
また、復讐のための正義とは、人間の手には扱えない超越的な信念であり、実は人が正義と呼んでいるものは罪そのものだと。
罪人に振り翳した正義は、新たな罪人を生み出す。
判事さんの言葉からは、そんな矛盾した、だけど善悪の本質かもしれないメッセージを、私は読み取りました。
<現代の正義、やっぱりSNSが…>
正義の心はどの時代の人々にもあるのでしょうが、現代はSNSの普及でとりわけ顕著になっている気がします。
小さなものだと気に食わない人間の晒しあげから、大きなものだと国際的な紛争やクーデターなども、正義と復讐の連鎖でしょう。某合衆国の某大統領さんが選挙結果に難癖つけて、支持者がホワイトハウスに押しかけた事件もありましたね。
SNSが不当な正義行使のための道具に使われている例は、かなーりあると思います。
もちろん、SNSそのものは悪じゃないです。SNSがここまで悪名高きツールになってしまったのは使い方に問題があるからです。
昨今話題の闇バイトもそうですよね。センセーショナルな情報は、良し悪し無関係にそもそも伝達力があって、SNSという媒質がさらにその力を強めているのです。
中でも正義は人々を煽動し、誤った方向に動かす煽動力があります。判事さんの言葉を借りるなら、「罪深い傲慢」ですね。聞き心地の良い正義に煽られた傲慢さが、SNSを媒介に伝達し、大なり小なり数え切れないほどの争いをこの世に撒き散らしてると思います。
もはや人の手の及ばない規模で悪意と狂気が拡散されている。誰がどう食い止め、改善するかは全く検討もつかない。
でも、ナチス占領下のデンマークで広く読まれたこの小説、『復讐には天使の優しさを』が、がんじがらめになった現代の復讐の連鎖に、何らかの楔を与えてくれるような気がします。
<私たちがなすべきこと>
最後に、「正義」について判事さんは次のように述べています。
ローザは敵に対する復讐心を捨て、あわれみを示したとき、より高くて純粋な正義を主張したのです。
『復讐には天使の優しさを』(白水社)、p389
あわれみ。
私たちがなすべきことの答えの一部は、この一語に隠されているのかもしれないです。